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2019-08-15

8月15日は悲惨な戦争が終わった日ですが、国家は加害者であることを忘れてはなりません

 アジアと日本国民に甚大な犠牲をもたらしたアジア・太平洋戦争で日本が敗れた1945年8月15日の終戦から74年になります。
 8月15日は日本人にとっては悲惨な戦争が終わった日ですが、韓国・台湾をはじめとした日本の占領した地域に住んでいた人にとっては植民地支配が終わった日であります。
 日本国民は被害者でありますが、国家としては加害国であったことを忘れてはならないと思います。
 昨今、日韓関係が険悪な状況になっていますが、1910年に日本に併合されてから、1945年の8月15日までは苦しめられていた歴史を認識する必要があります。徴用工問題は労働力の不足を補うものとして日本企業が無理やりに本土につれてきて、過酷な労働と劣悪な待遇で働かせたものであり、従軍慰安婦の問題は日本軍に性のはけぐちの対象にされたものであり、いずれも人間の尊厳をないがしろにされたものであります。被害者の苦しみや訴えには、先の戦争への責任を示す行動としてとるべきであります。
 多くのテレビ報道等では戦前において、韓国に対してどういう行いをしてきたのか言及はほとんどありません。歴史を直視しないことと戦前からのアジアへの大国意識が消えていないことのあらわれていえます。このような姿勢ではアジア諸国から尊敬される位置を占めることは難しく、再び支配の野望を実行していくという危険を持たれます。
 国民は肉親を失い、国土が焦土化した中で、二度と戦争をしてはならないという反省から生まれた憲法9条を守るのか、再び戦争する国にしてしまう9条を改正するのかの岐路に立っています。戦争はすべてを失うものであり、未来を失うものです。わたしたちは自らの意志であるべき方向を選択すべきと思います。
 8月15日は過去への反省と未来への覚悟を決意する日であります。
 

2019-08-14

学校は、教える場ではなく、学ぶ場である

 元文科省事務次官の前川喜平氏が5人の識者と対談とインタビューした本に出会いました。5人はいずれもその分野における専門家でありますが、前川さんがあとがきでのべているように、対談を貫いているのは、人間にとって学ぶことの意味、自分らしく生きることの大切さ、個人の尊厳を大事にする多様性のある社会の必要性、そしてそれらを圧殺しようとしている権力の危険性といったことでありました。
 そのなかでも小学校の校長先生をしておられた木村康子さんとの対談は教育の原点を解き明かす内容で心に響くものでした。
 中でも印象に残ったのは、すべての子どもの学習権を保障する、これを保障すれば、子どもは自分に必要だと思う学力を確実に身につけますよと語られたことです。学校は、学ぶ場であることの原点を思いました。文科省は、「主体的で、対話的で、深い学びは」を方針としているが、教師がやっていなければ、子どもたちもできないでしょうとのべられており、教師の役割の大きさが子どもの学びへの方向を決めているように思われます。
 木村さんは道徳の教科化には理解を示されています。道徳について、他の算数や国語とかと何が違うかといえば、正解を問い続けることであるとのべています。前川さんは、道徳の時間は1958年に始まったが、当時の学習指導要領には「自分たちでつくったきまりを守る」がいまは「進んで決まりを守る」となっているとのべ、主体性を失わす方向を示唆されていました。
 もう一つ印象に残ったのは、義務教育では、みんなが全部違う過去のリュックを背負ってスタートしているとのべ、6年のスパンで子どもの育ちを見るのが義務教育であるから、できない子どもをアウトにする画一的な教育をしていると子どもはどんどん学校に来られなくなると指摘されていたことです。不登校の存在はまさしくこのことではないかと思いました。
 他の4人との対談も学ぶべきところが多くありました。それぞれの対談者とのテーマは以下のようになっております。
 1 学ぶこと、人間になること、生きること
         対談者 山田洋次【映画監督)
 2 ”忖度ファシズム”の中の教育、日本
         対談者 堀尾輝久(元日本教育学会長)
 3 すべての人に「学習権」の保障を
         対談者 山本健慈(前和歌山大学学長)
 4 子どもの学習権保障は憲法の大前提
         対談者 木村泰子(元大阪市立大空小学校校長)
 5 多文化・多民族の共生でこそ持続可能性社会ができる
         インタビュー 高賛侑(ノンフィクション作家)

 「前川喜平が 語る、考える。」(本の泉社)



2019-08-13

安倍首相の「憲法改正議論」は独りよがりにさせなければならない

 新聞休刊日の夕刊に安倍首相の墓参りの記事があった。墓参りで憲法改正について「自民党立党以来の最大の課題である憲法の議論をいよいよ国会で本格的に進めていく時を迎えていると報告した」と記者団に述べたということでした。
 8月は広島、長崎への原爆投下による悲惨な出来事、15日には終戦を迎えたという歴史の誤りに反省し、二度と戦争はしてはならない、そのための憲法9条であるはずですが、歴史に向き合うことなく、ひたすら自分の野望を成し遂げようとする姿勢は、政治をつかさどるものの立場と相いれない。
 憲法9条改正をさせてはならないためにも1945年8月という歴史を忘れてはなりません。

2019-08-10

映画「ひろしま」を鑑賞

 9日の午後、桑名市で映画「ひろしま」を観た。この映画は長田新が編集した「原爆の子−広島の少年少女のうったえ−」(岩波書店1951年)をもとに、戦後8年経った1953年に製作されたということでした。
 一般市民約8万8000人が手弁当でエキストラとして参加したという市民による映画ということでしょう。「教え子を二度と戦場に送らない」ことを掲げた日本教職員組合に参加する広島県教職組合と広島市民の全面的協力でつくられたものでした。
 1945年8月15日8時15分、広島に原爆投下され、逃げまどう被爆者の群衆の姿が再現されています。原爆の恐ろしさ、悲惨な人々の姿が目に迫ってくるほどの迫力あるシーンは、戦争の残酷さを教えています。
 映画のなかでは遠藤一家に焦点を当てています。母は家の下敷きで死に、長兄は教室で息を引き取り、父も白血病で亡くなり、妹は父の顔を見て衝撃を受け、その場から姿を消して、消息が分からなくなります。
 一人生き残った少年は親戚に引き取られるのですが、必死に生きていこうとする姿がえがかれています。工場に勤めますが、軍事品をつくることになって辞めてくるところは反戦を掲げる被爆者の意思を示しています。
 ほとんどの家庭は遠藤一家のようであったと想像します。原爆は人々に生きることも、死ぬこともできないという結果は残したのです。
 1952年に製作された新藤兼人監督、乙羽信子主演で「原爆の子」という映画は、いい映画であるが、広島市民から「もっと投下直後の惨状を大勢の人に知ってほしい。熱戦、爆風、放射線による被爆の実態を描いてほしい」という声が出て「ヒロシマ」がつくられたと案内パンフレットに説明がありました。また、反米的なセリフがあるという理由で全国で上映されなかったということもつけ加えられていました。
 広島の悲惨な出来事が憲法9条が生まれた背景の大きな部分であるということがいえます。


2019-08-09

核兵器廃絶にはアメリカに追従するなという被爆者の願いに応えるべきだ

 74年目の長崎原爆の日である9日、長崎市の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が行なわれた。この1年間で3,402人の被曝者の死亡が確認され、計182,601人が原爆死没者名簿への記載総数となった。
 平和宣言で田上市長は、唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准することを求めたが、安倍首相は広島での発言と変わりなく、核兵器禁止条約には触れなかった。
 「平和への誓い」をのべた被爆者代表山脇佳郎さんは安倍首相に、「被曝者が生きているうちに世界で唯一の被爆国として、あらゆる核兵器国に『核兵器をなくそう』と働きかけてください。この問題だけはアメリカに追従することなく核兵器に関するすべての分野で『核兵器廃絶』の毅然とした態度を示してください。もちろん、わたしも死ぬまで『核兵器廃絶』を訴え続けます」と延べた。この被爆者の命を賭けた願いを無視することは政治家とは言えないし、被爆国の首相として責任放棄であります。今からでも遅くありませんから、85歳の被曝者が前被爆者の願いを代弁した要望に、安倍首相は答えるべきである。




 



2019-08-08

失われていく民主主義

 石井国土交通相は今日の閣議後の記者会見で、東京五輪・パラリンピックに合わせ羽田空港の国際線を増便するため、新たに設定する飛行ルートを来年3月29日から運用すると発表した。
 品川区議会や澁谷区議会では「容認できない」「見直しを強く求める」という決議や意見書を決議しているし、住民が「計画中止」を求めているのに、それらを無視しての表明であります。住民自治が尊重されない大変なことが連続している。マスコミの沈黙が残念でならない。
 安倍政権の姿勢は、住民の声を聞くというポーズを見せるが、最初に結論ありきである。民主主義とは一体何であるのか、わたしたちは立ち止まって考えてみる必要があります。民主主義や言論の自由、表現の自由が奪われると、行きつく先は戦争への道というのは歴史が歩んできたことを教えている。
 「あいちトリエンナーレ2019」の企画「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれたのも、民主主義への挑戦とみるべきであります。
 テレビの画面には議員個人の結婚を独占的に摂り上げている姿がある。他に報道することはないだろうか。民主主義を後退させる役割を担っているように思えてならない。
 わたしたちはあきらめず、人間一人ひとりが大事にされる世の中をつくるために求め続けなければならない。あきらめては負けである。

2019-08-06

全国高等学校野球選手権大会はじまる

 第101回全国高等学校野球選手権大会が6日、甲子園球場で開幕しました。参加校49校は各地の予選をクリアして夢の舞台で清秋の一ページを刻むことでしょう。
 初日から延長戦があり、各校はグランドで力いっぱいプレーしている姿に高校生の素晴らしさを感じます。試合には勝者、敗者がありますが、結果が決まるまで白球を追ってほしいと思います。





2019-08-06

被爆者の願いに応える政治を

 広島は6日、被爆から74年目の日を迎えた。平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が行われた。この1年に亡くなった人、死亡が確認されたりした人は5,086人で、被爆死没者総数は319,186人となった。
 松井一実市長は平和宣言で、「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受けとめていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現にさらに一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」とのべた。核兵器禁止条約への署名・批准を求める言及は初めてであるますが、最近の国際関係の状況を思い政府の姿勢に忸怩たる思いをのべたと理解します。
 安倍首相はあいさつで、「核兵器国と非核兵器国との橋渡しに努め、国際社会の取組みを主導する決意だ」とのべるだけで、核兵器禁止条約には一切触れなかった。唯一の被爆国首相としての自覚は持っておらず、型通りのあいさつであったといえます。
 安倍首相がどんなに美辞麗句を重ねても、被爆者や国民には被爆国の首相として政治責任を感じているとは思っていないでしょう。被爆者の願いに応える政治を実現することが求められます。

2019-08-06

渋野選手のメジャー制覇 夢と希望を与えるものです

 プロゴルフの渋野日向子選手がメジャー最終戦、全英女子オープンで優勝した。1977年の全米女子プロ選手権を制した樋口久子さん以来、42年ぶりの快挙である。テレビで映るさわやかな笑顔は芯の強さを秘めているように思います。
 昨年7月にプロテストを合格してから1年足らずでありますが、今春からすでに2勝しており力はあることを証明したものであるでしょう。
 若い人は予想外の力を発揮することがあります。無心で挑戦する気持ちが実ったということでしょう。この快挙は特に、若い人に夢と希望を与えるものとなるに違いありません。果敢に挑戦すれば必ず結果が出ます。そのときにたまたま上手くいかなかったとしても、挑戦する限り道は開けてきます。わたしたちが物事に挑戦する原点であります。
 ゴルフ場の起伏があるラウンド上は決して楽なコースではないでしょう。いくつもの起伏を乗り越えることによりゴールにたどりつけることができます。これからも力いっぱいプレーしてくれることを期待します。制覇おめでとう!

2019-08-04

「あいちトリエンナーレ2019」の企画展中止は表現の自由への侵害

 8月1日から開催されていた国際芸術際「あいちトリエンナーレ2019」の中での企画展「表現の不自由展・その後」が3日で中止になった。テロ予告や職員への個人攻撃がなされたことによるものであるということですが、そのために表現の自由を失っていいのかは重要な問題であります。
 この企画は、一度展示されたものの撤去されたりした作品を、その経過とともに展示するものと説明されています。そうであるならば展示展への妨害は想定されることであり、それを防ぐことが行政の責任であると考えます。
 ところが、河村名古屋市長(同芸術祭実行委員会会長代行)は2日、少女像について「日本国民の心を踏みにじるもの。即刻中止を申し入れる」と表明し、菅官房長官も同日、今後の補助金の交付決定について「事実関係を確認・精査して適切に対応したい」とのべています。
 表現の自由は、時の権力者力への批判を含めて許されないならば表現の自由でなくなります。今回の中止は権力者が是非を決めていくというような横暴な行動であり、自由な発想に基づき表現を萎縮させていくものとなります。
 わたしたちは表現の自由、知る権利、言論の自由が制限・抑圧の状況を日々感じてきているのではないでしょうか。大切な権利が奪われていく過程は戦前の歴史から学ぶと戦争への道といえます。自由と権利が奪われないように監視していくことが大きな課題といえます。